ラヴァンヤ・ラクシュミナラヤン『頂点都市』(創元SF文庫、東京創元社、2025年)
ISBN:9784488624118
出会い
書店で見つけた一冊。表紙と帯を目にした瞬間、この本を買うだろうなと思い、実際に買いました。インドの作家の本はまだ読んだことがなかったので興味を惹かれました。
読書記録
概要と世界観
能力主義の統治体制の下、生産性とソーシャルスコアで評価され続ける世界で、人々は上位2割、そして中間である7割の「ヴァーチャル民」と残り1割の「アナログ民」に分けられています。1割の「アナログ民」の生活は非常に厳しく、「ヴァーチャル民」もその評価によっては追放され「アナログ民」となる可能性を常に突きつけられている、そんな世界です。
生産性を評価され続ける世界という設定は一見極端にも思えますが、果たして現実とどれほど異なるものだろうか、そんなことを思いながら読み始めました。
巧みな構成
20の連作短編からなるこの本は、短編ごとに異なる立場の人物の話が描かれています。「これってどういう事だろう?」「ここは引っ掛かる」と思ったことが、読み進めるうちに徐々にほぐれていくその構成は鮮やかです。
ぼんやりとしていたものが徐々に明らかになり、話が進んでいきつつも、ただ最終話にたどり着くのではなくて、短編ごとの登場人物に共感したり、できなかったり、現実に重ね合わせてみたりと、読みながら色々と考えさせられました。
印象深かったところ
20の短編のうち、特に印象深かったのが以下の2つの話です。
1つ目は「義賊の植えた樹」。この本の最初の短編です。アナログ民の義賊・ナーヤカは仲間のために最上位一パーセントの人々しか触れられない木の芽を盗み出します。
明日には相応の報いが待っているだろう。《でも、今日は希望があるわ。》 (p15)
「でも、今日は希望があるわ。」その言葉の軽やかさとともに、ナーヤカの覚悟が伝わってきました。
2つ目は「アナログ / ヴァーチャル」。母を亡くしたことで生産性が低下し、失業中のヴァーチャル民アニタは「生産性向上プログラム」の指示の下、アナログ民として追放されないように「生産性の向上」に取り組みます。
アルゴリズムを使わずに決断したのはいつ以来だったか思い出せない。カロリー計算とか、ユーザー評価にもとづく人気とか、小売価格とか・・・。こういう衝動的なふるまいは無鉄砲でめまいがする。 (p80)
仕事からあき時間から食べるものまで、提示された内容をそのまま受け入れて生活してきたアニタは、何の情報もなく選択することを迫られ苛立ちます。その姿をおかしく思いつつも「あなたへのおすすめ」や「ユーザー評価」、最適化された検索結果を日々目にして生活している自分は、果たしてアニタとどれほど違うのだろうという疑問が頭に浮かびました。
生産性と現実と
先に紹介した2つの話以外も、この本の世界観、そして「生産性」について様々な視点で語られます。本を読み終わって自分が「生産性」にある意味囚われていることを改めて意識しました。現実では、生産性、効率の向上が常に謳われると同時に、生産性の向上のために休むことも強く求められます。また、何かに抜きんでること、目立つことは時に忌避され、すべてを卒なく、無難にこなすことを求められ、それが評価されることもある現実。そして一度の失敗が大きなものとして返ってくる現実。それらはこの本の世界観と一体どれほど違うというのでしょうか。生産性が低下し、アナログ民となることに怯えるヴァーチャル民の姿は、今の自分と大きく異なるものではないでしょう。
そして、この本のテーマは「能力主義」や「生産性」だけではありません。もう1つ根底に流れているものは、この文章に集約されるのではないでしょうか。
最終話の「小さきものたち」より。
気づいている者はいなかった。まだなにも起きていないから。とりあえずいまのところは。 どんなこともそんなふうに始まり、そして終わる。(p429)
気づかぬままに何かが始まり、何かが終わる。それに気づいていながらそのままでよいのか?そう問いかけられた気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿