日記のすゝめ:書くことで残す、読むために書く

2025年6月25日水曜日

考えていること 書くこと

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約1年前。2024年の6月から紙の日記を書き始めた。使っているのはEDiTの1日1ページのデイリータイプの日記だ。気づいたら1年と1カ月が経とうとしている。今日はそんな日記と書くことについて。

何となく始めた手書きの日記

何となく始めた手書きの日記。書き始めたら手書きならではの良さに気づいた。一番はやっぱりパラパラとめくって過去の日記を読めること。間違いなくデジタルにはない良さだ。字はあまりきれいな方ではないけれど、昨年末に買った万年筆で書くようになったら、自分の手書きの字も好きになれた気がする。なんというか味わい深い。

日記と言っても毎日書けているわけではなくて、調子によって書けない日だってある。かと思えば1ページみっちりと文字を書いていたり。そのくらいムラがあっていいのだ。それもまた私の生きた証だ。

日記に残る足跡

何のために書くのかなんて、始めたときは考えてもいなかったけれど今は違う。それは自分の歩いてきた道を後から振り返られるように残すため。日々生きていくなかで、過去のことは気を抜くとどんどん忘却の彼方に流れていく。そう、忘れてしまうのだ。楽しかったことも、悔しかったことも、心を躍らせたことすら。これは忘れないぞと思ったことすら、1週間後、ひと月後にはおぼろげな記憶となっていく。

だからこそ、書いて残すのだ。楽しい思い出も、悲しかったことも、もやもやとしたことも。残しておきたいことはすべて日記に書いていく。細かに書いてもいいし、走り書きでもいい。書いておくことで、例え3行ぐらいの走り書きであっても読み返したときに当時の記憶がよみがえる。

足跡としてのジャーナリング

日記に加えて、ロルバーンのノートを使ってジャーナリングも時々やっている。考え事で頭がいっぱいになった時やまとまった内容を残しておきたい時に、ノートに一気に書き出す。書き方はシンプルだ。日付と曜日、天気を書いたら、そのまま書き始める。自分しか読まないから、ブレーキは最低限で、書きたいことをひたすら満足するまで書いていく。

これもまた日記と同じく後から読むと面白いのだ。この時考えていたことは、後からちゃんと解決しているとか、同じことに定期的に悩んでいるなとか。確かに自分が書いたものだけど、時間を置くと読み物としても面白くなる。頑張っていたなあとか、空回りしていたなあとか。少し距離を置いて楽しみながら読める。

読みたいから書く

どうして日記を書くのか。「自分の歩いてきた道を後から振り返られるように残すため」と書いた。それに加えてもう一つ理由を挙げるなら、「読みたいから」だ。ひと月でいい、毎日でなくてもいいから。一度日記を書いてみてほしい。1ページ全部を埋めなくてもいい。たった1行だっていい。書いてみて、1カ月くらいおいて読んでみてほしいのだ。面白いから。

手書きの日記とジャーナリングの他に、しずかなインターネットでも書いているけれど、そちらも同じ。読みたいから書いている。自分の読みたいものを書いていく。或いは未来の自分が楽しめるように、思い出せるように今を書いていく。そんな気持ちで書くことに向き合っている。



見出しの写真:UnsplashKenny Eliasonが撮影した写真

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